自分ルールをどんどん増やすほど、「自分が何者か」はっきりしてきます

「この人、キャラ濃いな。。」と思わされる相手は、しっかりとした自分ルールをいくつも胸の内に持っている人が多いです。

会話をしていく中で興味が湧いてきて、もっともっと知りたくなる人の共通点といえます。

理解不能なこと言われるんだけど、なんか妙に説得力だけはあるように感じたりすることありませんか?

妙な説得力で不思議な納得感を得れたときはきっと相手の自分ルールが自分自身とリンクしたときです。

自分ルールが増えれば増えるほど、世界は多層化していろいろな世界が見えてきます。

自分ルールはどんどん増やすべき

世間一般的な感覚や考え方に左右されない、自分だけで密かに決めている自分ルールを誰しもが少なくても一つ、二つ持っています。

自分ルールは誰かとシェアする必要もなく、個人で腑に落ちるルールであれば採用、成立です。

自分ルールが増えていくと、世間一般的な視点から捉える物事の解釈と自分ルールから捉える物事の解釈に違いが出てきます。

自分ルールからうまれる解釈の違いを、「新政府初代内閣総理大臣」・「建てない建築家」として知られている坂口恭平さん風に言うと、「レイヤーを持つ」ことになります。

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自分をないがしろにしないために

いつの時代もどことなく存在する「世間一般的解釈」というフワッとしたものを、一から十まで疑って自分ルールで変換して書き起こす必要はありません。

「世間一般的ってなんやねん!」と変換作業最中に思いはじめる結果は、やる前からもう目に見えてますからね。

ただ時代の空気でそれとなく変わっていく世間一般的解釈を絶対正義にしておくことほど、自分という存在をないがしろにしてしまっています。

「炊きたての美味しいご飯」で連想するものは?

世間一般的解釈って奴自体も、実は圧倒的大多数がシェアしているだけな自分ルールの一つかもしれません。

「炊きたての美味しいお米」を連想したときに、圧倒的大多数の人は真っ白に精製された白米を頭に思い浮かべて、玄米ご飯が思い浮かぶ人は少数派でしょう。

白米と玄米、どっちを連想してもいいんですよ。どっちが良い悪いではなくて、そう連想したとき、どっちにしても自分ルールが自然と適用されているんです。

「自分が何者か」をはっきりさせるメリット

「自分が何者か」を強烈に際立たせていく最良・最短の手段として、あえて、自分ルールを世間一般的解釈に白紙委任しない選択を選び続けることが重要です。

自分ルール次第では特異な人、奇抜な人だと見られる機会も増えるでしょう。
でも、最初から自分と生きる世界が違ったり、価値観や考えをシェアできる可能性の低い、縁があまりない人たちは確実にいます。

合わない人たちを半自動的にふるいにかけて、シャットダウンして、本当に自分に興味がある人、どこかがリンクする人は逆に寄ってきます。

類は友を呼び、一緒にいて気持ちいい人たち同士が集まってくると、ワクワクドキドキするような面白い話も勝手にどんどん膨らんで話が早いです。

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